本稿は、ヒグマの会30周年記念誌編集委員会 (2010)「ヒグマとつきあう ヒトとキムンカムイの関係学」にて掲載された「ヒグマへの畏敬と敵視の8万年」の内容を、再編集したものである。
15~16万年前にアフリカで誕生した現世人類の祖先がユーラシア大陸に進出したのは7~8万年前とされる (Stringer and MeKie 1996)。そこでクマと出会ったときからヒグマと人の歴史は始まった。
雑食性でニッチェが重複する二種の動物が競争関係になるのは必然だった。人間が狩ったシカなどの獲物はヒグマにも魅力的で、横取りすることもあったろう。現在の様々なあつれきを見れば想像に難くない。獲物を横取りされてばかりでは人間も暮らしが危うい。対抗する上でヒグマを狩る技術を身につける必要があった。原始的な猟具の当時の人類にとって、ヒグマを捕獲することは容易ではなかったろうが、人々は狩る技術を見出していった。
ヒグマに対抗する過程で人間はヒグマについて様々なことを学んだ。侮りがたい知能と強大な力、だが注意深い対応によって多くはあつれきにならずに済むことなども学んだ。森林や山岳の奥深くまで生息するヒグマを根こそぎ捕獲することは不可能であり、あつれきを起こさずに共存することが不可欠だった。
3万5千年前に人類が残した洞窟絵画に描かれた動物のうち、ヤギュウやシカなどの草食獣と比較してクマが描かれる頻度は低いが、洞窟の奥深くなど特別な場所に見られる (小野 2006)。また象徴化擬人化されたクマが描かれることから、儀礼や祭祀の対象として認識していたことが示唆される。無視できない存在のヒグマは、人類の精神の進化にも少なからぬ影響を与えたことが想像できる。
ベーリング地峡を渡ってアメリカ大陸に到達した人類は、ヒグマと遭遇しながらも共存する知恵を伝えながら暮らしてきたと考えられる。ヒグマとのあつれき解決には確実に獲ることも必要であり、食物取得の目的だけでないヒグマ狩猟を継続することで技術伝承の必要があったろう。北方圏少数民族がヒグマを狩猟すること、また共通してヒグマへの畏怖と尊敬を伴った自然観を持つことは、このことを裏付ける (Hallowell 1926)。北海道の先住民アイヌもその一員として歩んできた。ヒグマに対するアイヌの人々の認識については、1980年代に北海道教育委員会が実施した調査報告から後述する。
約1万年前に中国を起源として始まった農耕の普及は、人間の生活形態を大きく変えた (中尾 1966)。食糧生産の増加と収穫物の長期保存による食物供給の安定化は人口の増加をもたらした。また、計画的な農地管理に必要な定住生活によって、耕地など人間の生活圏とその他との境界が明確化され、家畜の導入も財産の所有意識を高める結果になった (要引用)。さらに、農地の拡大は森林や草原など野生動物の生息域の減少を招いた (要引用)。
野生動物に対する見方も変化した。生態系の一員として共存することで生活が支えられる狩猟採集民の時代の認識が失われ、毛皮や肉で欲望を満たす対象にあるいは家畜や農作物に損害をもたらす厄介者に変わった (要引用)。ヒグマも厄介者として排除の対象となった。
人類によるヒグマの絶滅過程をたどることのできる地域はヨーロッパと北アメリカである。イギリスのグレートブリテン島を含むほぼ全土にヒグマが分布していたヨーロッパでは、デンマークで紀元前3000年頃に、グレートブリテン島では11世紀初頭までに、ドイツでは18世紀から19世紀にかけて絶滅し、20世紀初頭にはスイスとアルプス山脈につながるフランス東部の個体群が消滅した (Curry-Lindahl 1970)。ヨーロッパの新石器時代から中世にかけての遺跡から発掘されるヒグマの出現頻度から、捕獲圧が増加したことが判明している (天野 2006a)。
北アメリカでは、18世紀に始まった開発以降、アメリカ合衆国・カナダ国境線以南の分布域の98%で絶滅した 。家畜や農作物の害獣、人身被害をもたらす脅威として入植者によって毒殺され捕殺され、生息域は農地や放牧地に代わった (Servheen 1990)。そして記録にとどめられていないが、アジアの農耕地域でも人間の競争者として排除され消えていったものと推測される。
日本列島には、北海道にヒグマ、津軽海峡を挟んだ本州以南にツキノワグマが分布する。少なくとも1万年前までは本州にもヒグマが生息していたが、絶滅した (河村, 中越 1997)。日本に農耕が伝えられた紀元前900~800年頃には、ツキノワグマが本州以南に広く分布していたと考えられる。狩猟漁労採取生活から水稲栽培の定住生活へと変化は、自然環境や野生動物への認識も変えただろう。例えば、古事記では、天皇にまつわる人々である「荒ぶる神の化身」を指す語として、「熊」を充てている (関口 2006)。これは、8世紀の時点で未開で野蛮なものの象徴としてクマを捉えていたことを意味する。北海道南部への日本人の移住は14世紀頃から始まるが (桑原ほか 2010)、彼らの認識も同様だったろう。ツキノワグマより格段に大きなヒグマは、お化けのように映ったのではなかろうか?
さて、中世以前の北海道では、道北・オホーツク海沿岸に栄えた狩猟と漁労を中心とした人々によるオホーツク文化、そして、その他の道内で栄え、オホーツク文化の後継ともなった農耕と交易も営む擦文文化の時代があった (桑原ほか 2010)。遺跡出土物から彼らはヒグマを儀礼の対象としていたことが知られている。その後、北海道から千島列島と樺太南部に広がったアイヌ文化では、ヒグマを山の神として畏敬し、イオマンテと呼ばれるヒグマの霊を神の世界へ返す儀礼を行った (河野 1935)。
近世以降の狩猟目的は、日本人や極東沿海地方の人々との交易のためと考えられている。そして、商場知行制、場所請負制によりアイヌの経済活動を規制しながら、日本人がアイヌに命じて、希少品である鷹の羽や熊皮、熊胆を得るための狩猟させた面もあった (出利葉 2002)。近世以降におけるクマの狩猟は、北海道のヒグマ猟、東北地方のツキノワグマ猟も含め、希少品である熊胆や熊皮を市場に供給する役割があり、日本社会にとどまらず、中国を中心とする北東アジアの交易網と結びついていた(天野 2006b)。
19世紀後半以降の開発は、漁業目的の海岸中心の活動から農耕目的の内陸部への入植へと大きく変容した。多数の移民が入植し、森林や原野の農耕地や市街地への転換が約1世紀続いた。開拓使は捕獲奨励金を交付してヒグマ駆除を進めた (山田 2002)。明治から大正時代にかけて発生したいわゆる3大事件(札幌丘珠、苫前、石狩沼田)では多数の入植民が死傷した (木村 1983)。さらに高度経済成長期の1962年にはヒグマによる家畜被害が多発、駆除にあたった狩猟者を中心に3名が死亡、8名が負傷したことで、社会のヒグマに対する否定的感情は頂点に達し、対策強化を求める世論が高まった (間野 1991)。生息域内で発見したヒグマを残雪期に片端から捕獲する実質的な絶滅化政策である春グマ駆除制度が1966年に導入され、個体数減少と分布域の縮小が進行し、平野部からヒグマは駆逐された (間野 1991)。
ヒグマによる人身被害、家畜被害は1970年代以降減少、自然環境保全や野生生物との共存へと世論も変化し、北海道は1990年に春グマ駆除を廃止した (間野 1991)。その後個体数の回復と分布域の拡大が進み、2010年代以降は札幌など大都市市街地に隣接する場所にも生息するようになった (Mano et al. 2020)。
これらは欧米で先行した過程を北海道でも繰り返したものといえる。ほとんど国土全域からヒグマを駆逐してしまった欧米とのちがいは、北海道では70%以上を占める森林 (北海道 2022) のほぼ全てが今も生息域となっていることだ。ただ日本人のクマに対する認識は、古代に根付いた考え方から脱していないように見える。
その大きな力や体格とは裏腹にヒグマが人間を恐れ臆病なことは広く知られている 。人間に対する警戒心の要因の一つとして捕獲行為が考えられる(Swenson 1999)。北海道ではオホーツク文化期からアイヌ文化期を通じ15世紀にわたって積極的な狩猟対象となってきたと考えられ (天野 2006a)、それ以前も含めてヒグマの捕獲は数千年続いてきただろう。警戒心が薄く攻撃的なクマほど捕獲対象となりやすいため、警戒心が強く攻撃性が弱い個体が選択された結果とも考えられる。このことは、今後ヒグマの狩猟をどのように位置づけるかという問題提起をしている。
1980年代の聞き取り調査 (北海道教育委員会 1984, 1985, 1987, 1988) から、旭川、日高(静内・沙流)、十勝のアイヌの古老が、
1.ヒグマは山の神様(キムンカムイ)であり大切にしなければならない
2.神様は不正を嫌うので,人間も行いを正さなければならない
3.神様にも悪い神(ウエンカムイ)がいる
4.悪い神は徹底的に懲らしめなければならない
ことを共通して述べたが、これには科学的ヒグマ保護管理の重要な概念が網羅されている。
すなわち、ヒグマの生息する自然環境の正しい知識に基づいて人間自身の行為を適切に保つことで被害を予防することである。しかし被害の発生確率をゼロにすることはできないので、問題発生時に個体を特定して捕獲することのできる危機管理の仕組みを維持することである。ヒグマの狩猟を通じたその技術伝承が図られてきたと考えられる。そして、ヒグマの保護管理で欠かすことのできない人々への普及啓発は、口伝による知恵の伝達によって正しい知識を社会で共有していたことが、狩猟経験のない者が語ったことから明白である。 科学的ヒグマ保護管理の処方箋は、北海道の先住民であるアイヌの伝統的知恵にある。そして現代社会において、これら必要な事項に対する理解が不足し関心が低い事実にも気づかされる。昨今のクマ問題を見れば、自然に対する伝統的な知恵を失った社会が、改めてヒグマとの関係を契る必要性に直面しているともいえる。ヒグマとの共存は、科学的知見を基に文化や歴史に対する理解を深めながらより豊かな生き方を勝ちとる営みなのではなかろうか。
(執筆・編集:間野 勉)
おすすめ文献リスト
参考文献