北海道ではヒグマと人間のあつれきが頻繁に発生しています。このページでは、なぜヒグマによるあつれきが発生するのか、どうしたらあつれきを軽減できるのかについて「クマ問題は人の問題」をキーワードに考えていきましょう。
ヒグマと人間の間には、どんなあつれきが発生しているのでしょうか。真っ先に思い浮かぶのは人身事故でしょうか。北海道では毎年0~数件程度のヒグマによる人身事故が発生しています。また、農作物や家畜の被害など経済活動に関連するあつれきも発生しています。それに加えて、出没することによって地域住民が不安を抱いたり、人里に出没したヒグマを捕獲するかしないかといった人間同士の意見の対立や齟齬などの間接的なあつれきも発生しています。
こうしたあつれきは、なぜ発生するのでしょうか。ヒグマが人里に出没する要因は、その生態学的な側面から検討されています。例えば山の実りの豊作・凶作、人間由来の食物への誘引といった採食資源に関連する要因が考えられます (Shirane et al. 2021; 札幌市 2023) 。また、分布の拡大により、人里周辺へクマが定着していることやその背景にあるクマの社会構造、好奇心旺盛な若いクマの存在なども挙げられます (佐藤 2021; Elfstom et al. 2014) 。こうした複数の要因が絡み合いながら市街地への出没につながっていると考えられています。
では、こうしたヒグマの出没要因が分かればヒグマによるあつれきはなくなるのでしょうか。残念ながら、それだけではヒグマによるあつれきはなくならないでしょう。なぜなら、こうした被害にはヒグマの生態だけではなく、人間の認識や感情、経済的な要因、社会状況などの人間側の要因も大きく影響しているからです (鈴木 2008) 。
例えば、果樹園農家が収穫間際のサクランボをヒグマに食べられた際、被害感情は高まるでしょう。しかし、手をかけておらず放置しているサクランボの木の実を食べられても被害感情はそこまで高まらないでしょう。また、森林近くであればヒグマの出没を「当たり前」と感じている住民も、小学校の近くに出ると「捕獲しなければならない」と訴えるかもしれません。これらの例では、経済的な要因や子どもが人身事故に遭うリスクが高まるかどうかといった社会条件によって「あつれき」と感じる度合いが変化します。このようにヒグマと人間のあつれきは、人間側の認識や感情、社会背景などによってその大きさの大小が変わりうるのです。
さらにヒグマと人間の関わり合いは、あつれきに代表されるネガティブな側面だけではなくポジティブな側面もあります。例えばヒグマは、かわいいキャラクターとして表現されていたり、自然の象徴であったり、観光資源として金銭的な価値が生み出されています。ヒグマに対するネガティブな側面が、ポジティブな側面を上回ったとき、つまり人がヒグマを許容できなくなったとき、ヒグマと人間のあつれきへと発展するのです (図1)。このような、人々が野生動物をどの程度許容するかといった認識 (許容性) が、野生動物による被害を減らすうえで注目されています (Riley and Decker 2000; Bruskotter and Wilson 2014) 。
図1:あつれきを構成するヒグマ側・人間側の要因
許容性に関する例をもう少し見てみましょう。知床半島地域は、ヒグマの市街地出没や農作物被害が発生している反面、観察ツアーが存在するなどヒグマの存在が観光資源にもなっています。そのため、「市街地にヒグマが出てくるのはいやだけど、世界遺産地域の森林にいないのは困る」といったヒグマがいる場所によってネガティブ・ポジティブな認識が変わることがはっきりとわかりやすい地域です。
そうした背景から知床半島地域 (斜里町・羅臼町・標津町) の住民を対象に、ヒグマがいることを受けいれられるかを場所ごとに尋ねるアンケート調査が実施されました (Kubo and Shoji 2014) 。その結果、森林や世界遺産の観光地ではヒグマの存在を受け入れる傾向があることが分かり、一方で斜里市街地や羅臼市街地に住んでいる回答者は、自分の住む地域にヒグマが存在することに否定的であることも分かりました。この研究からは、クマの必要性は分かるが自分の居住地の近くにはいてほしくないと思うNIMBYの傾向 (原発やごみ処理場など生活に不可欠だが家の裏庭にほしくないといった心理傾向で、Not In My Back Yardの頭文字からそう呼ばれる) を有していることがうかがえます。なお、こうしたNIMBYの傾向は、札幌市で行われたアンケート調査でもみられています (札幌市 2017; 亀田 2014) 。このように、地域の人々の営みとヒグマに対する許容性は密接に影響しあっていのです。
許容性は、情報がどのように伝えられるかによっても変わりうるといわれています。アメリカクロクマの研究では、クマに対する「許容性」は不安などクマの危険性が強調されて伝えられることで下がったり、逆に対策を実施することで上がったりすることが報告されています (Slagle et al. 2013) 。その結果からは北海道のヒグマでも出没が増加し、危険性のみが伝達されてしまうと、「許容性」が下がる可能性があります。
ヒグマの被害をなくすためには、人間の認識、とりわけヒグマの存在をどれだけ許容するかといった認識に着目する必要があるでしょう。今後は、「許容性」を実社会の問題解決にどう生かすかといったことを検討する必要があります。まだまだ研究の途上ではありますが、「許容性」はヒグマと人間のあつれき問題を解決する上でのカギとなる指標かもしれません。
では、ヒグマと人間のあつれきを軽減させるにはどうすればいいのでしょうか。
ヒグマが出没している現場では、捕獲を求める怒りや対策の実施への諦め、愛護への批判など様々な感情がうずまいています。すでに見てきたように、何を被害と思うかは人間の認識によって変化します。そのため、野生動物対策の「正論」が必ずしも地域住民に理解されるとは限りません。クマ問題を解決しようとしたら、地域社会と行政・専門家の人間関係が悪化してしまったといった声も聞こえてきます。そんな状況ではどうすればいいのでしょうか。
岩手県盛岡市のリンゴ園では、リンゴ農家とクマの研究者や行政がクマの被害対策をめぐって対立していたそうです。しかし行政のキーパーソンが間に入り、研究者も行政も農家も一緒に対策が実施する場を作りました。実践する場には観光バスで乗りつけた大勢の大学生が加わるという農家が驚くようなイベントもあり、一緒にリンゴ園の被害防除が実施されることになりました。そのような一緒に汗を流す取り組みをすることで、対立していた両者の信頼関係が構築され、防除対策の継続につながったそうです (山本ほか 2017) 。北海道でも地域住民が主体となって実施している草刈り活動や放棄された果樹を伐採するボランティアなど、地域住民・行政と地域以外から参集するボランティアや学生が一緒になってヒグマの出没対策を実施しています (図2) 。このような活動は単に誘引を防ぐ・景観をよくするだけではなく、参加者がヒグマと人間のあつれき問題を学ぶきっかけになるかもしれません。さらに、地域の人々にとっての交流の場となったりとヒグマの被害防止以外の価値を見出すことができるかもしれません。今後のヒグマ対策は、住民に押しつけすぎず、信頼構築をしながら実践していくような視点が必要ではないでしょうか。
「ヒグマ問題は人の問題」でもあります。ヒグマとどう付き合っていきたいかを真剣に考えながら、人間社会を捉えなおしていきたいですね。
図2:ボランティアによる放棄された果樹の伐採活動の様子(2022年筆者撮影)
(執筆:伊藤泰幹、監修:早稲田宏一)
おすすめ文献リスト
ヒグマの出没問題やどう対策を進めていくのかといった今後の展望が述べられた1冊です。「アーバンベア」とタイトルを冠していますが、著者の浦幌町でのヒグマ研究の道のりなども記されています。
5章の「市街地とヒグマ」(早稲田宏一氏執筆)では、札幌市の出没要因やなぜ出てくるかを検討した章が掲載されています。特に、「出没とはそもそも何か」といったヒグマの出没に関する現場からの深い洞察は非常に参考になります。
環境社会学の立場から、環境保全がどうしたらうまくいくかを具体的な事例から考えている書籍です。本文でも紹介した岩手県のツキノワグマ対策の事例(4章)が掲載されていたり、獣がい問題の解決に向けた論考(6章)が掲載されているなど、野生動物によって生じる問題を解決するのに有益な事例が掲載されています。
参考文献